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大阪地方裁判所 昭和31年(ヨ)274号 判決

申請人 久本彌右衛門

被申請人 株式会社淀川製鋼所

主文

被申請人は、申請人の被申請人に対する解雇無効確認等の訴訟の本案判決確定に至るまで、申請人を被申請人の従業員として取扱い、且つ申請人に対し昭和三十一年二月三日以降同年十二月三十一日まで一ケ月金一万九千二百十五円の割合による金員並に昭和三十二年一月以降同割合による金員を毎月二十八日限り支払わなければならない。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、申請人の主張

申請人は主文第一項同旨の判決を求め、その理由として、次のとおり述べた。

一、被申請人(以下単に会社という)は、従業員約千五十名を擁し薄鉄板並にロールの製造販売を業とする株式会社であり、申請人は昭和二十三年十一月十六日入社、ロール課に造型工として勤務してきたものであり且つ日本鉄鋼産業労働組合連合会淀川製鋼所労働組合(以下単に組合又は第一組合という)の組合員であるところ、会社は昭和三十一年二月二日申請人に対し口頭で申請人に会社就業規則第六十二条第一、第二、第五、第六、第九の各号に該当する懲戒事由となるべき事実(後記二の(二)の(イ)ないし(ホ)の事実)があるとして懲戒解雇の意思表示をなした。

二、しかしながら会社の申請人に対する右解雇は次に述べる諸理由により無効である。

(一)  本件解雇は就業規則第六十三条所定の手続が採られていないから無効である。

就業規則第六十三条には「懲戒せねばならぬものの認定及処分其の方法は労働組合と協議の上会社が之を行う」と規定してあるのに拘らず、会社は本件解雇をなすについて事前に組合と協議せず全く一方的に抜打ちに申請人に対し解雇の意思表示をなしたものである。就業規則によれば第六十二条所定の懲戒事由があつたとしても第六十一条において情状により譴責、減給、解雇のいずれかを選択して処分するのであつて、第六十三条の協議は懲戒処分の必要不可欠の要件と解せらるべきであるから、組合との右事前の協議を経ないでなされた本件解雇は無効である。

(二)  本件解雇は申請人に就業規則第六十二条の各号に規定する懲戒事由たるべき事実がないのに拘らず、右事実があるものとしてなされたものであるから無効である。

(イ) 昭和二十五年三月二十九日申請人が職場において仮眠していたという事実(第九号違反)。

右日時に申請人が職場において仮眠していた事実はあるが、これは夜勤者の休憩時間中である午後十時三十分頃の出来事であつて、夜勤の休憩時間中の仮眠は申請人の外にも多数のものが行つてきたことであるばかりでなく、休憩時間中の仮眠は本来就業規則第六十二条第九号の「同条第一号ないし第八号に準ずる程度の不都合な行為」には当らない。

(ロ) 昭和二十九年三月十日申請人が不注意によりロールを駄目にしたという事実(第二号違反)。

申請人の勤務するロール課の作業は造型、地金とかし、鋳込等に分れる団体の流れ作業であつて、申請人のみの不注意によりロールの製造が不良ないしは駄目になるということはあり得ないし、又現に当日申請人の不注意によりロールの製造が駄目になつたという事実はない。従つて、申請人には就業規則第六十二条第二号の「会社に重大なる損害を与へたもの」に該当する事実はない。

(ハ) 昭和二十九年五月一日申請人が会社の葛目製鈑課長に殴りかかつたという事実(第六号違反)。

当日はメーデーで申請人が会社外で製鈑課長の葛目と組合組織のことで言い争つたことはあるが暴行したことはない。又当日被申請人主張のとおり会社応接室に入つたことはあるが、暴力的に押し入つたものでなく、「従業員としての資格を汚す行為」として取上げるべき筋合のものでない。

(ニ) 昭和二十九年五月二十二日申請人が横田ロール課長に暴言を吐いたという事実(第五号違反)。

申請人の職場の担当課長横田が申請人に対し組合活動家であることを理由に休日出勤や残業をさせなかつたので、右日時に申請人が横田課長に対し同課長の組合運動介入、不当労働行為について抗議口論したことはあるが、これは組合員としての権利擁護のための言動であつて、就業規則第六十二条第五号の「事業場若くは従業員に有害な影響を及ぼすと認められる行為」には当らない。

(ホ) 昭和三十一年一月二十五日申請人が同僚従業員に対し、仕事をするなと煽動し且つこれを理由に同日担当課長から運搬係へ配置転換を命ぜられたのに拘らずこれに従わなかつたという事実(第一号違反)。

同日朝申請人はロール課の同僚従業員が脱衣場で脱衣中、前夜熔解係の夜勤者六名中三名が欠勤したため残り三名で仕事をしたと聞き、組合役員の日常活動として同人等に対しそのようなことは労働強化になると説明したに過ぎないものであつて、故らに従業員を煽動したものではない。ところが担当課長が右事実を目して従業員を煽動したものとなし申請人に対し直ちに運搬係への配置転換を命じたので、申請人は一旦これに従つたが、右配置転換は後記のとおり明らかに不当労働行為であるから組合と相談の上組合の指示に従つて右配置転換を拒否し従来の造型工の仕事に従事していたものであり、従つて正常な業務命令に対する違反ではなく、右を以て職制による責任者の指示に従わないものとして「就業規則に違反したもの」となすは当らない。(この点については後記(四)に詳述する)

(三)  会社が解雇理由としてあげる右(イ)ないし(ニ)記載の事実について、

申請人の所属組合が昭和二十九年五月十五日大阪地方労働委員会に提訴した不当労働行為申立事件に追加して組合は更に同年六月二日申請人に対する会社の差別扱の排除を申立てたが、会社は答弁として本件で主張する右(イ)ないし(ニ)の事実をすでに陳述していたところで同事件は同年十二月二十四日会社と組合との間に協定成立し、申請人の関係では会社は申請人に対して従前差別待遇のあつたことの有無を問わず申請人の残業、公休出勤について爾後他の従業員と均等に取扱うことを約して円満解決をみたものである。従つて、仮に右(イ)ないし(ニ)の事実が就業規則所定の懲戒事由に当るとしても、右協定の成立によりそれまでの会社申請人間の関係は会社組合間において相互にその不当性を主張しないことが約されたものであるから、右四項目の解雇理由は懲戒解雇の理由となり得ないものである。

(四)  前記(ホ)記載の解雇理由による本件解雇は不当労働行為として無効である。

以上のとおり、前記(イ)ないし(ニ)の解雇事由はそれ自体懲戒事由となり得ないのみならず、懲戒事由としてすでに主張し得ないものであつて、本件解雇は前記(ホ)の解雇理由に決定的重点が置かれ、その他の事由は単に附随的若くは口実的理由にすぎない。しかもこの(ホ)の事由に基く解雇が不当労働行為を構成することは次に述べるとおりである。

申請人は昭和二十三年十一月会社に入社後その職場であるロール課における組合運動の中心的活動家として組合運動に従事して来た。即ち昭和二十五年六月以降組合委員、同年十月レツドパージ反対闘争、同二十六年八月飯尾課長配置転換反対闘争、同二十七年七月夏期一時金闘争の各職場闘争委員をはじめとして同二十八年七月夏期一時金闘争時の職場闘争委員長、同二十八年十一月越年闘争時の職場闘争委員長兼渉外班長、昭和三十年三月以降組合常任委員、厚生部長として活溌な組合活動を行つて来た。これに対し会社特に直属の横田ロール課長の態度は次のとおりである。

1 昭和二十五年十月二十五日横田課長は申請人に対し「職場委員としてレツドパージ反対闘争を行うのであればお前も馘にする」と言明した。

2 申請人が同月三十一日の組合委員会においてレツドパージ反対の意思を表明したことを理由に、翌昭和二十六年一月平均一割の定期昇給に際し申請人は約二分五厘の昇給に止められた。

3 昭和二十六年八月下旬夏期闘争に際し横田課長は申請人に対し「お前は総務から注意されているからストライキをやつてはいかん」と強圧した。

4 昭和二十八年七月十六日夏期闘争中の申請人に対し横田課長は会社案受諾方を個人的に強要し、会社側はロール課従業員の意思に反して一方的に「ロール課一同」の名義で「会社案を受諾すべし」と記載した書面を掲示した。

5 同年八月八日申請人が前日の組合委員会において右会社の不当労働行為の説明をしたことを理由として、横田課長は申請人を呼び出し「きつとお礼をする」旨威嚇した。

6 同年末の越年闘争時に会社に協調的な第二組合が結成されたが、翌昭和二十九年二月申請人が第一組合から第二組合に移動した同僚二名を説得して第一組合に復帰させた際、横田課長は第三者を介して申請人の退社を要求した。

7 昭和二十九年四月四日横田課長は第三者に対し第一組合員に残業させないか制限を加える旨表明した。

8 同年五月二十二日横田課長は申請人に対し「組合運動ばかりするから定期昇給もあげない、残業、公休出勤もさせない」と表明した。

9 同月二十三日横田課長は「組合運動をやるものはロール課をやめろ」と放言した。

10 昭和三十年三月二十九日横田課長は「組合運動を行えば労働条件の悪い圧延課へ配転する」と圧力を加えた。

11 同年十月三日同課長は課員全部に「一部の者は組合活動をやつているが、それに同調するな」とか「久本は図書館の中のチンドン屋だ、久本の言うことを聞くな」と言明した。

このように会社側特に直属の横田課長は申請人の組合活動に介入し職場のロール課において申請人に対し常に不利益扱をなして来たものである。

昭和三十一年一月二十五日横田課長は前記のとおり申請人の同日朝の脱衣場での言動を理由に配置転換を命じたが、造型工である申請人を運搬係へ配置転換することは、明かに不利益扱である。即ち右配転当時ロール課は鋳造(型場)、熔解(反射炉)及び機械の三部門に分れ、熔解部門は熔解と運搬の業務を行つていたものであるが、型場の造型、反射炉の熔解は共に熟練を要する仕事であるのに対し、運搬は材料、石炭、石炭ガラ等の運搬を行うものでいわば雑役である。この運搬は従来倉庫課で行つていたが、機構変更によりロール課に所属することとなり、従来倉庫課で運搬に従事していた人達がロール課の熔解部門の運搬係にかわつて来たものである。そして職務の性質上素人工ならば格別、造型工、熔解工がかかる運搬に配転された例は従来全く存しないのである。従つて、本来造型工として入社し優秀な造型技術工として型場で勤務している申請人を素人でもできるいわば雑役に過ぎない運搬係へ配置転換することは、申請人にとつて極めて不利益な扱である。

しかもその配置転換は前記一月二十五日の申請人の言動を捉えてなされたものであるが、申請人の言動は何等就業規則に違反するものでなく、申請人が就労時間前に組合役員として組合員に対しなした日常説得活動として正当な組合活動に外ならないことは叙上のとおりである。

このようにみてくると、右配置転換は申請人の平素の活溌な組合活動と右一月二十五日の申請人の正当な組合活動を理由としてなした不利益扱であることが明かであるから、かかる配置転換を命ずること自体が不当労働行為である。従つて、かかる配置転換の命令に従わなかつたことを理由として解雇することも亦不当労働行為として無効である。

申請人は配置転換の命令を受けた日の翌二十六日も従来の造型の仕事に従事したところ、次回の就労日である同月二十八日にはロール課熔解係の松本伍長からの勧告もあり一旦運搬の仕事に従事したが、翌二十九日組合の指示に従つて造型工の仕事に復帰したものである。従つて申請人の配置転換拒否は組合の指示に従つて組合活動の一つとして行われたものであるから、右配置転換の業務命令の可否如何に拘らず、その拒否をもつて懲戒解雇の事由とすることは不当労働行為として許されない。

(五)  仮に右配置転換が不当労働行為でないとしても、何等業務上の必要もなく行われたもので使用者の人事に関する権能を逸脱したものであるから、その拒否はいわゆる業務命令に違反したものでなく、従つてかかる配置転換命令拒否を理由になされた本件解雇は解雇権の濫用として無効である。

(六)  本件解雇は、会社が労働基準法第二十条所定の除外事由について所轄労働基準監督署長の認定を受けず、且つ同条所定の解雇予告手当の支給をしないでなした即時解雇であるから無効である。

三、以上のとおり本件解雇は無効であるから、申請人は依然として会社の従業員たる地位を有するものであるが、申請人は家族三名を擁し労働の対価を唯一の生活手段とするものであり、本案判決による救済まで本件不当解雇による不利益を忍受できないので仮処分による救済を求めるため本申請をする次第である。

第二、被申請人の主張

被申請人は申請人の申請を却下する旨の判決を求め、左のとおり答弁した。

一、申請人主張の一記載の事実は認める。

二、就業規則第六十三条所定の懲戒処分についての協議について。

昭和三十一年二月二日午後二時会社工場事務所において会社の片野労務部長、浜田労務課長は組合の西田組合長、白井書記長、三好法規対策部長と会合し、片野部長より組合側に対し申請人の後記就業規則違反の各事実につき詳細に説明し、これに対し組合側より質疑応答があつた後、同部長がこれから申請人を呼び出して懲戒解雇の言渡をなす旨を言明したところ、組合側はこれに対し何等異議を述べなかつた。組合は申請人の懲戒解雇について異議があるならばその際直ちに異議を申出るべきである。組合側では申請人に対する懲戒解雇の言渡を承認していたものであるから、就業規則第六十三条所定の協議は組合側との右協議により必要且つ十分な程度になされたものである。従つて、申請人が組合の処置につき組合に対し不服を述べるのは格別、会社が就業規則所定の組合との協議を経ていないことを理由として本件解雇の無効を主張するのは失当である。

三、就業規則第六十二条各号に規定する懲戒事由たるべき事実について。

(イ)  申請人主張の二の(二)(イ)記載の事実

申請人は昭和二十五年三月二十九日午前二時より午前三時までの間においてその作業現場で仮眠しているところを会社保安係に発見され、総務課長より譴責処分を受け始末書を提出した。右は就業規則第六十二条第九号に該当する行為である。

(ロ)  同前(ロ)の事実

昭和二十九年三月十日申請人が株式会社八幡製鉄所向のストリップワークロール(合金特殊鋳鉄ロール)の製造作業中、鋳造が殆ど完了せんとするに当り申請人の不注意で鉄棒の持ち方が悪かつたため熔銑が漏れロール一台を台無しにしたものであつて、そのため納期を遅延し会社に右ロール一台の時価相当の六十七万円の損害を与え、ロール課長より譴責処分を受け始末書の提出を求められたがこれを拒否した(第二号違反)。

(ハ)  同前(ハ)の事実

昭和二十九年五月一日午後二時頃申請人は飲酒の上大阪市西淀川区大野堤防上において偶々出会した会社の葛目製鈑課長に食つてかかり、殴りかかるの暴行を働き、さらに会社に来て浜田労務課長が阻止するに拘らず事務所二階の重役応接室に乱入し、従業員としての資格を汚す行為があつた(第六号違反)。

(ニ)  同前(ニ)の事実

申請人は昭和二十九年五月二十二日直属の横田ロール課長に対し「苦いものを食わしてやるぞ、福の町を通つた時は足を叩き折つてやる」と脅迫的言辞を弄したので、浜田労務課長が申請人を労務課に呼び出し譴責処分にするとともに横田課長に陳謝するように勧告したが、これに従わず何等改悛の情なく従業員に有害な影響を及ぼす行為があつた(第五号違反)。

(ホ)  同前(ホ)の事実

ロール課熔解係の夜勤者は午後十時より翌日午前六時までを勤務時間とし、その間反射炉並にその附近の掃除、地金割、反射炉に銑鉄約十屯余、石炭をクレーンにより挿入して翌日の昼間作業の準備をする職責を有するものであるが、偶々昭和三十一年一月二十四日の夜勤者六名中三名が欠勤したため、出勤した三名で翌日の作業に支障のないよう準備したところ、翌日朝八時頃申請人は会社脱衣室でロール課熔解工十名程の面前で「昨夜は夜勤者六名であるのに三名しか出勤していないのだから三名分の仕事をしてあとはほつておけばよい。余分な仕事はするな」と翌日の仕事に支障を生ぜしめることを期待するような煽動的な言辞を弄したことを熔解の松本伍長から報告を受けたので、同日午前九時頃横田課長から申請人に対し右事実の有無をただしたところ申請人はこれを否認し毫も反省の色なく、むしろ反抗するような態度を採つた。そこで横田課長は同日昼頃申請人に対し即刻運搬係へ配置転換を命じたがこれに従わず、さらに同月二十九日横田課長から再度運搬作業に従事するよう命じたのに対してもこれを無視して任意従前の仕事に従事し、なお同日午後一時より午後四時まで担当横田課長の許可を受けず組合常任委員会に出席し職場離脱をなしたものである(第一号違反)。

以上のとおり申請人は数回に亘る就業規則違反を犯して職場秩序をみだし経営遂行に有害な行為をかさねるので、会社は職場秩序維持のため已むなく申請人を懲戒解雇したものであつて、本件解雇はもとより有効である。

四、申請人主張のとおり組合から大阪地方労働委員会に対し不当労働行為申立事件を提訴し、同事件の申請人関係の答弁として会社が申請人主張のとおりの答弁をなしたこと、同事件がその主張のような協定成立により円満解決をみたことはこれを認めるが、右協定の申請人関係の条項の趣旨は申請人の残業、公休出勤について他の従業員と均等に取扱うことを約しただけのもので、前記(イ)ないし(ニ)の就業規則違反の事実を今後不問に附すというような合意がなされたこともないし、申立人と会社との従来の関係は会社組合間において相互にその不当性を主張しないことが約されたわけでもない。

五、本件解雇が不当労働行為であるという点について。

申請人の組合経歴については申請人が昭和二十六年八月飯尾課長配置転換反対闘争、同二十八年七月夏期一時金闘争、同二十八年十一月越年闘争における各職場闘争委員、昭和三十年三月以降組合常任委員、厚生部長であつたことのみ認め、申請人が昭和二十五年六月組合委員となつたことは否認する。ロール課の組織が申請人主張のとおりであることは認める。

申請人主張の二の(四)記載の「申請人の組合活動に対する会社側の態度」につき、

同1の事実は否認する。

同2の事実中昭和二十六年一月平均一割の定期昇給のあつたこと及び申請人の昇給が低かつたことは争わないが、右低率は申請人の成績不良が原因である。

同3の事実は否認する。

同4の事実中横田課長が申請人の会社案受諾方を個人の立場で述べたことはあるが、これを強要したことはない。又申請人主張のような掲示がなされたことは争わないが、右掲示は組合員の一部の者がなしたもので、会社が掲示させたものではない。

同5ないし10の各事実は否認する。

同11の事実中横田課長が図書館の中のチンドン屋だと言明した事実は争わない。しかし、これは、申請人が仕事中いつもがやがやいうので、同課長が図書館の中でがやがやいう者は他人の読書の邪魔になるのと同様に申請人が他人の仕事の邪魔になるという意味で言明したものである。

会社側は申請人の組合活動の故を以て申請人に故らに不利益な取扱をしたことはない。

昭和三十一年一月二十五日横田課長が申請人に対し運搬係へ配置転換を命じた経緯は前記のとおりであつて、配置転換の理由は要するに叙上の如く熔解工を煽動した申請人に対し熔解の部署が如何に作業に重大な影響をもたらすかを習得させるために運搬係への配置転換を命じたものであつて、申請人の平素の組合活動を嫌悪しこれに介入する意図でなされたものでは決してない。

更に申請人の右配置転換拒否は明かに業務命令に違反するものであつて、その拒否がたとえ組合の指示に従つてなされたとしても、組合としてはよろしく団体交渉等の合法的手段によつてその是正を求めるべきであつて、組合が会社に対して何等の申出もせずに直接行動によつて配置転換を拒否させ申請人がこれに従つて配置転換に対する不服申出の手段としても適当を欠く直接手段に訴えたことは、著しく職場の秩序をみだしたもので、申請人はその拒否に対して責任を免れることはできない。

従つて、申請人の再度に亘る配置転換拒否を懲戒解雇の事由とすることは企業目的達成のための当然の措置であるから、これを理由に申請人を懲戒解雇したことは、決して不当労働行為ではない。

六、申請人主張二の(五)については、会社の同一課内の配置転換は課長の専権に属するところであつて、横田課長が叙上の経緯で申請人の配置転換を命じたことは、何等人事権の濫用ではない。

七、本件解雇は労働基準法第二十条に違反してなされたもので無効であるという点について。

就業規則第三十八条、第六十一条第三項によれば、会社が従業員を懲戒解雇する場合には、原則として予告手当を支給することなく又は予告期間を設けずして解雇し得ることになつているばかりでなく、本件解雇に当り会社は昭和三十一年二月二日組合と協議を行うと同時に所轄西野田労働基準監督署長宛労働基準法第二十条但書による解雇予告除外認定申請書を提出したが、監督署の意見として一応予告手当を支給して貰いたいとのことであつたので、同年三月七日会社は右申請を取下げ同年三月十五日申請人を呼出し法定の予告手当一万九千六百円を提供したが、申請人において受領を拒否したので会社労務課人事係に保管中のものであつて、申請人がいつでも受取り得る状態に置かれているものであるから、申請人の右主張は理由がない。

八、以上いずれの点よりするも本件解雇は有効であるからその無効を前提とする申請人の本件申請は理由のないものとして却下さるべきである。

第三、疎明関係〈省略〉

理由

第一、被申請会社は従業員約千五十名を擁し薄鉄板並にロールの製造販売を業とする株式会社であり、申請人は昭和二十三年十一月十六日被申請会社に入社、ロール課造型工として勤務し且つ申請人主張の組合の組合員であるところ、会社は昭和三十一年二月二日申請人に対し口頭で申請人主張の如き(イ)ないし(ホ)の五項目の就業規則違反の事実をあげて懲戒解雇の意思表示をなしたことは当事者間に争がなく会社が右解雇理由として右五項目の外に更に申請人が昭和三十一年一月二十九日再度の配置転換の命令を拒否し、同日午後一時から午後四時に至る間所属課長の許可を得ずに組合委員会に出席して無断職場離脱したという事実もあげていたことは、証人片野養蔵の証言申請人本人の供述(第一回)並に弁論の全趣旨に徴して認められる。

第二、本件解雇の効力

そこで本件解雇の効力につき次の二側面から考察する。

一、本件解雇は就業規則第六十三条所定の組合との協議がなされていないから無効であるとの主張について。

成立に争のない甲第一号証、乙第二号証(いずれも就業規則)によれば、会社の就業規則第六十条は「懲戒処分を次の通りとする、一、譴責、二、減給、三、解雇」と定め、同第六十一条にはその懲戒方法、同第六十二条には懲戒処分を受ける場合の実体法的基準がそれぞれ定められていると共に、更に就業規則第六十三条には「懲戒せねばならぬものの認定及処分其の方法は労働組合と協議の上会社が之を行う」と規定されている。右六十三条の趣旨は会社が従業員について懲戒処分を行うに当つては、組合との「協議」の場において懲戒事案の事実認定及びその懲戒の種類程度並にその方法について組合側をしてその意思ないし意見を十分会社側に反映せしめ、もし会社側に偏向のあるときはこれを是正して人事の公正を確保する機会と権限を与えると共に、会社側は懲戒権の発動に独断専行を避け組合と協議すべき義務を自ら負う趣旨を定めたものと解するのが相当である。従つて、会社が懲戒処分を行うに当り事前に組合と協議することは、その必要不可欠な前提条件であつて、かかる協議を経ずになされた懲戒処分は懲戒手続の重大な瑕疵あるものとして無効といわなければならない。殊に懲戒解雇は企業別組合にあつては、当人が組合員資格を喪失して組合から離脱することになるから、解雇の是非は当人にとつては勿論組合自体にとつても重要且つ切実な問題なのである。従つて組合としても簡単に意思を決し兼ねることは見易い道理であつて、慎重な手続と配慮の下に形成された意思を以て協議の場に臨まなければならないと共に、会社側としても組合側に対しかかる意思形成に必要な十分の余裕を与えなければならない。組合側にこのような余裕を与えずになされた協議は就業規則第六十三条にいう協議とはいえない。

そこで申請人に対する本件懲戒解雇に当り就業規則第六十三条に定める組合との協議がなされたかどうかを検討してみると、証人西田宗一の証言(但し後記信用しない部分を除く)に成立に争のない乙第六号証、証人片野養蔵、浜田陽三の各証言(但し一部)申請人本人の供述(第一回)を綜合すれば、次の事実が認められる。

昭和三十一年二月二日午後二時頃会社工場事務所において、先に無届欠勤三十日以上に及んだという理由で就業規則第六十二条第四号により懲戒解雇処分にされた虻川という工員の解雇について、同規則にいう「欠勤三十日以上」の解釈に関し予て組合から疑義解明方の申入がなされていたので、会社側から片野労務部長、浜田労務課長、組合側から西田組合長、白井書記長、三好法規対策部長が出席して協議がなされ(右認定に反する趣旨の証人浜田陽三の証言部分は他の証人の証言に照し信用しない)、右規則の解釈につき会社側は累積三十日以上と主張するのに対して組合側は引続き三十日以上と主張して討議が交わされたが、双方調整のつかないまま右についての協議が一応終つた頃、片野労務部長は事前に組合に何の通知もしてないのに拘らず突然申請人を懲戒解雇に附する件を持出し、申請人について前記六項目の就業規則違反の事実を列挙してこれを説明した上申請人を懲戒解雇する、これから申請人本人を呼び出して懲戒解雇を言渡す旨を一方的に言明した(証人西田宗一の証言中右の場で片野部長がこれから本人を呼び出して懲戒解雇を言渡すと言明したとの認定に反する部分は他の証言に照し信用しない)。会社側は同年一月末頃に申請人を懲戒解雇することを決定しておきながら組合に対し予め何等の連絡もしないばかりでなく、会社側は右発表に際しても組合側に対し申請人を懲戒解雇することについて意見を求める態度にも出なかつた。組合側としては申請人を解雇する件については事前に会社側から何等通知も受けず全く予期しないことであつたので、片野部長の右説明に対しても組合長から一応ききおくということを念を押した上同部長の説明を終始傾聴して筆記するにとどめ正式に意見を述べないで退席した。しかも退席に際し西田組合長から片野部長に対し申請人の解雇についてあらためて協議されたい旨申入れたところ。同部長もこれを諒承し同月五日午後三時右の件について協議することを約したのに拘らず、片野部長は組合側の退席直後である同日午後三時過頃申請人を呼び出し就業規則違反の理由で懲戒解雇する旨を言渡した。翌日組合は執行委員会を開いて申請人の懲戒解雇の件を附議した結果これに反対する決議をなしその旨会社に通告した。以上認定の事実によれば、会社が申請人を懲戒解雇するに当つては、組合に対し何等の予告もなく、他の案件についての組合との協議の席をかりて突然申請人の解雇を持出したのみで、格別これについて組合の意見を求めて討議することなく、組合側において正式意見を保留しているのに拘らず一方的に懲戒解雇を言明、しかも組合と後日の協議を約しながら組合が正式機関に諮つて右についての態度を決定する余裕を与えず、その後直ちに申請人に対し懲戒解雇の意思表示をなしたものであつて、これでは会社側に就業規則第六十三条の組合と「協議」する意思の存在すら疑われても已むを得ない次第であつて、右を以て同条所定の組合との協議を経たものとは到底認められない。

被申請人は、会社側の前記言明に対して組合側は即時何等の異議を述べなかつたから、申請人に対する懲戒解雇を承認したものであつて、右規則にいう組合との協議をすでに終了したものであると主張するけれども、組合側としては叙上認定のとおり、申請人の解雇は全く予期しなかつた事柄だけに会社側の前記懲戒事由の説明等に対して一応ききおくということを念を押した上組合としての正式意見の表明を保留していたばかりでなく、更にこの件について後日あらためて協議することを申入れて会社側との間に二月五日にその協議をもつことが約束されていたのであるから、組合側が会社側の前記言明を黙認していたとは到底認められないのであつて、この点に関し証人片野養蔵、浜田陽三の各証言中被申請人の右主張に副う趣旨の部分は信用し難い。従つて又前記二月五日に協議するとの約束が申請人に対する解雇言渡後の善後措置としての個人的話し合を意味する趣旨の右片野証人の証言も信用できない。他に被申請人の主張を認めるに足る証拠もない。更に前記各証言によれば、従前会社が従業員を懲戒解雇した場合において組合との協議を経なかつた事例(前記虻川の場合もその一例)が二、三存する事実は認められるが、その多くは工場内における盗犯の場合であつて、会社が組合に全然通知せずに現場の職制を通じて従業員本人に懲戒解雇を言渡し、本人からも組合に何等連絡しないまま離職して行つたため組合がその解雇について全然知らないでいるとか、後日偶々知り得ても組合も懲戒解雇已むなしと認めて懲戒処分の手続違背を敢て咎めなかつた事情(但し前記虻川についてはその手続違背を批難したことは証人西田宗一の証言により認められる)が窺知されたのであつて、これ等の場合と雖も、組合が右就業規則による協議の権限を事前に放棄していたわけでなく、従つて会社が一方的に就業規則を無視して組合との協議を経ていなかつたまでのことで、これ等の事例を以て会社組合間に右就業規則所定の協議の手続を省略する慣行があつたものとも認められない。

従つて就業規則第六十三条所定の組合との協議を経ずしてなされた本件解雇は、懲戒権行使上の重大な瑕疵あるものとして無効のものというの外ない。

二、就業規則第六十二条各号に規定する懲戒事由たるべき事実がないから本件解雇は無効であるとの主張について。

懲戒解雇事由として挙げられている前記六項目の事実について順次検討する。

(イ)  職場における仮眠の件。

申請人が昭和二十五年三月二十九日の夜勤時間中その職場において仮眠していたことは当事者間に争がないが、成立に争のない乙第一号証、証人片野養蔵、横田礼三の各証言、申請人本人の供述(第一回)を綜合すれば、申請人が当日仮眠していたのは午前二時から同三時までの夜勤休憩時間中であつて当夜の職場責任者松本浅六に対し休憩時間内に仮眠して時間が来れば起して貰うことを申合せその諒解と指揮の下に他の夜勤者数名と共に仮眠していたものであつて、当夜の保安巡回からの注意がなくとも申請人等の右仮眠により爾後の作業遂行その他職場規律に支障を来すべき状況になかつたことが窺われる。休憩時間の自由な利用は労働基準法第三十四条第三項により保障せられているところであつて、右のように職場内における自主的秩序の下に休憩時間中仮眠することは労働者の疲労回復を目的とする同条項所定の休憩時間の自由な利用の限界を超えるものとも思われないのである。しかも前記証拠によれば、休憩時間中の仮眠はその後会社側においても昭和二十六年頃からは反射炉の夜勤者に対し夜食時間、休憩時間の一時間を含めて合計二時間の仮眠を許していることが認められる。

従つて、申請人の右仮眠は行為当時においてもいかなる懲戒処分にも値いしないものといわざるを得ない。尤も会社側は右仮眠について当時申請人から始末書(乙第一号証)をとつて譴責処分に付しているのであるが、この譴責処分は叙上の如き行為評価の面からしても相当でない。仮に右処分が相当であるとしても(この見地に立つときは、右仮眠の行為自体についてはすでに譴責という懲戒処分を受けているのであるから、更にその行為を懲戒解雇の一事由とすることは一事不再理の原則に照し不適法であり、右処分を受けた事実が情状として考慮されるに止まる)、叙上のとおりそれから間もない頃から会社も休憩時間中の仮眠を許していることでもあり又行為当時から本件解雇に至る間すでに約五年を経過していることに鑑みると、右仮眠につき譴責処分を受けた事実は情状としても本件懲戒解雇を理由ずけるものとして斟酌すべきものでないといわなければならない。

(ロ)  ロールを駄目にした件。

成立に争のない乙第十六号証、証人横田礼三の証言(後記信用しない部分を除く)、申請人本人の供述(第一回)を綜合すれば昭和二十九年三月十日申請人がロール金型を作る作業に従事していたところ、熔解係から八幡製鉄所発注のストリップロール鋳込作業への応援を求められ、ロール鋳込の金型の中抜穴を棒の尖端に粘土をつけた長さ約一間半のデレツキ棒で押えていると、金型の上部から湯(熔銑)を注入し終つた頃押えている棒の尖端が次第に赤くなつて来たので、傍に居た柴田に応援を求めたが、同人が差しかえの棒を持つて来るのも間に合わず、中抜穴から熔銑が流れ出し、危険で押え切れなくなつて金型内の約一千瓩の熔銑が流出したので、新に棒を差しかえた上、熔銑を注入して鋳込んだが、右ロール一台は不良品になつたことが認められる。

被申請人は申請人の不注意で棒の持ち方が悪かつたため右ロールの不良が生じたと主張し、証人横田礼三の証言中に申請人が身体を左右に動かしたり片足をあげたりしていたと思うとか棒の尖端が赤くなりかけたとき直に応援を求めれば処置できたのに、湯が流れ出してから応援を求めたのは申請人の処置が悪かつたためで、申請人の緊張を欠いた不注意によるものと判定したとの証言部分があり、又同証人の口述書である乙第三号証には、申請人の棒の押え方が悪いためその尖端部が赤色熔損し且つ横向の姿勢で作業したためこれを看過し即座に応援を求めなかつたため熔銑を流失したものでその作業態度の不真面目によりロールの不良を生じた旨の記載がある。しかし乍ら証人横田礼三のその他の証言部分並に申請人本人の右供述によれば、作業監督に当つていた横田礼三課長は当時申請人の作業態度、姿勢等を終始注視していたわけでなく、同課長が事故を知つて来て見たときはすでに申請人の押えている棒の尖端が赤くなつて中抜穴から熔銑が流れ出ているときであつて、そのときにはすでに申請人において柴田に応援を求めて同人が差しかえ棒を持つて来るのを待つている状況にあつたこと、熔銑の流出によつてその際申請人が身体の数ケ所に火傷したこと、このような事故は熔銑の温度の低いことに原因する場合もあり又金型が悪かつたり棒の尖端の粘土が少量に過ぎたことに起因することもあつて、事故として決して絶無のものではなく、申請人以外の他の従業員が棒を持つている場合にも時折発生していたこと、中抜穴を押える作業はまかり間違えば熔銑の流出飛散によつて押えている本人自身にも極めて危険を伴うから、その作業に当る者は通常緊張して従事するものであることが認められる。してみると、右事故が横田課長の目にとまつたとき申請人が横向の姿勢でいたり身体を左右に動かしたり足をあげたりしていたとしても、それは中抜穴から流出する熔銑の飛散によつて火傷する危険を避けて身の安全を期するための動作であつたかも知れないのであつて、かかる危険状態下における申請人の挙動から直ちにそれ以前の申請人の行動を推測することは妥当でない。しかも前記証拠によれば、横田課長は熔銑の流れているのを見た途端申請人に「何をボヤボヤさらしているんだ」と叱咤すると共に右鋳込が一応終るや、まだ右鋳込ロールが不良品かどうかも判明しない間に申請人に始末書をかけと要求しているのであつて、同課長が日頃から申請人を組合活動にばかり熱心で仕事の面では責任感のうすい男と思い込んでいる事実(この点は後で詳述する)と相まつて考えるときは、熔銑の流出したこと自体について極めて感情的に申請人の過失と速断した形跡が窺われないでもない。

このようにみてくると、前記ロールの不良が熔銑の一旦流出したことに基因するとしても、その流出の原因が申請人の不注意に因るとの点について、これに副う趣旨の前記横田証人の証言部分並に乙第三号証の記載はたやすく申請人の過失認定の資料とはなし難いし、他に申請人の過失を認めるに足る適確な証拠はない。従つて、前記ロールの不良について申請人に就業規則第六十二条第二号にいう「会社に重大な損害を与へたもの」として懲戒事由に該当する事実は認められないのである。

(ハ)  葛目製鈑課長に対する暴行並に重役応接室に乱入の件。

証人西田宗一、白井芳雄の各証言、申請人本人の供述(第一回)及び成立に争のない甲第六号証、第七号証の一ないし三に証人片野養蔵、浜田陽三の各証言及び証人片野養蔵の証言により成立の認められる乙第十四、第四号証を綜合すれば、次の事実が認められる。

組合は昭和二十八年十一月末から越年闘争を展開し爾後四十九日間の長期ストライキを敢行し、その間同年十二月中頃には会社に協調的な淀川製鋼所新労働組合(第二組合と略称する)が結成されたのであるが、右争議妥結後の昭和二十九年二月頃から同年五月頃にかけて会社側は、多数の工員を擁する製鈑課圧延部署においては葛目尚弘課長等が中心となり職制を使つて同部署に勤務する第一組合員に対し第二組合に加入するよう勧誘したり或は第一組合の三月二十日の定期大会に際しては寄宿舎の舎監をして入寮中の従業員をピクニック等に誘導して大会参加を断念させるような行動をとる等、第一組合に対する差別扱いないし支配介入的言動が屡々みられた。そこで第一組合では職場組織等を通じて会社側に対し抗議を続けていた。以下述べるところはかかる折柄の出来事である。

昭和二十九年五月一日メーデー当日申請人はメーデーに参加し自宅へ帰る途中で会社の土俵開きに参加した第二組合員達が手土産を持つて帰るのに出会わし、事情を聞くにつけ不快の念に駆られて来た。それというのも、第一組合はメーデーに参加し第二組合はメーデーには参加せずに当日社内で組合大会を開くことになつていること、従つてこの日に土俵開きの相撲大会を開催すれば第一組合員は事実上これに参加できないことも会社側で知悉していながら、敢てこれを開催し、しかもこれに参加した第二組合員に手土産まで与えるというようなことは、組合に対する差別扱いとみてとつたからである。申請人はこのように不快に思い乍らも相撲の様子をみるために会社へ赴く途中、同日午後三時頃大阪市西淀川区百島町百島橋北詰附近の路上で偶々葛目製鈑課長が係長や第二組合員と一緒に帰つて来るのと会つた。多少酒気を帯びていた申請人はその瞬間、先刻来の感情に加えて、同課長が寄宿舎の舎監を通じて第一組合員にメーデーに参加させないようにしようとしたと聞いていたことや同課長の第一組合に対する従来の態度等を思い合せ。第一組合に不利益扱いをするものは同人とばかりに同課長に対し「余りえげつないことをやつたらあきませんぜ」等と言つたところ、一蹴されたので憤激しつかみかかろうとして険悪な空気になつたが、他の従業員の制止によつて収まつた。その後申請人は会社に赴いたが、すでに相撲大会は終了していたので、浜田労務課長に土俵開きのことを訊すべく同人を求めて重役応接室に入つたが、同室では土俵開きに招かれた力士を会社重役等が接待中であつたので、空席に暫らく黙つて坐つた後、何も言わずに室外に出て行つた。

このようにみてくると、申請人が葛目課長に対し暴行に及んだとはいうものの双方つかみ合の格闘に至らず、又応接室へ入るについて無断であつたかどうかは別にして暴力的に侵入し又は入室後暴言暴行に及んだ事実は認められないのみならず、メーデー当日労働者としての解放感を味つて帰宅途中の申請人が、労使間の従来の関係に加えて土俵開きの相撲大会によつて更に新に会社側の差別的意図を推察し、嘗ては組合役員もした葛目課長に対し現在同課長が会社側に立つて組合に不利益扱いするものと目して憤懣の情をぶちまけ、さらにはそれが浜田課長等にも波及した心情察するに難くなく、右事情に前記認定の事実を綜合すれば、申請人の当日の行動は就業規則第六十二条第六号にいう「従業員としての資格を汚す行為」として懲戒解雇事由に値いするものとは到底認め難い。

(ニ)  横田課長に対する暴言の件。

証人横田礼三、浜田陽三の各証言、申請人本人の供述(第一回)を綜合すれば、昭和二十九年五月二十日頃申請人はロール課渡会組長から日曜出勤を命ぜられたことを承諾したところ、同日工場事務所の方からその取消を伝達された。申請人はその頃残業、公休出勤について差別待遇を感じていた折柄右のようなことがあつたので、同月二十二日朝作業にかかる前横田課長に対して申請人に対し故らに残業、公休出勤をさせない理由を訊したところ、それは申請人の勤務成績が悪く、組合のことのみ熱心にやつて仕事をしないからであるという同課長の返答であつたので、申請人は同課長に対し「そんなことを言つたら苦い汁を飲ましてやる」と言い、同課長はこれに立腹、申請人に対し始末書の提出を命じたがこれを拒否した事実が認められる。

申請人の右言辞はその意図の如何は別にして穏当を欠くものといわざるを得ないが、前記(ハ)説示の事情並に成立に争のない甲第七号証の一ないし三、同第九号証の一ないし四、証人白井芳雄の証言により成立の認められる甲第八号証、申請人本人の供述(第一、第二回)を綜合すれば、昭和二十九年五月分の申請人の残業は僅か三時間(残業手当二八四円)に過ぎず、ロール課の他の従業員に比しても又申請人のこれと前後する月間に比しても甚しく少く、申請人においてこれを奇異に感じ組合活動を理由とする差別待遇と信じたとしても無理からぬ事情にあつたことが認められるから、申請人の右言動を以て就業規則第六十二条第五号にいう「従業員に有害な影響を及ぼすと認められる行為」に当るものとして懲戒解雇の事由となすのは当らない。

以上(イ)ないし(ニ)の会社側の挙げる懲戒解雇事由が個別的にみて懲戒解雇の事由としても又その情状としても評価さるべきではないこと叙上のとおりである。しかも争のない事実として、申請人の所属組合が昭和二十九年六月二日大阪地方労働委員会に対し別件に追加して申請人に対する会社の差別扱の排除をも申立て、会社はその答弁において差別扱を否認する根拠として本件で主張する右(イ)ないし(ニ)の事実を主張していたところ、同事件は同年十二月二十四日同委員会の非公式和解により会社と組合との間に協定成立し、申請人の関係では会社は申請人に対して従前差別待遇のあつたことの有無を問わず申請人の残業、公休出勤について爾後他の従業員と均等に取扱うことを約して円満解決をみたことが認められる。この点に徴すれば、右協定の趣旨が前記(イ)ないし(ニ)の事由(その存否、当否はさておき)について会社が申請人を宥恕し将来申請人に対するいかなる懲戒事由としても主張しないことまで約したものであるとは認められないにせよ(従つてこの点についての申請人の見解は採用しない)、会社はこれらの事由を主張しながら申請人の継続雇用を前提とする協定を結んでいるのであるから、右協定により会社はこれらの事由だけでは申請人を懲戒解雇できない拘束を受けるものといわなければならない。従つて、叙上の個別的認定を加味してこれを考えると、前記(ハ)及び(ニ)の暴行暴言の事実はこれを累積してもこれらの事由だけでは申請人を懲戒解雇できないということできるのである。

そこで本件懲戒解雇事由の重点が次の(ホ)の事実に繋つてゆくわけである。

(ホ)  煽動、配置転換命令拒否並に職場離脱の件。

証人松本浅六、藤木岩松、横田礼三、片野養蔵、西田宗一の各証言並に申請人本人の供述(第一回)を綜合すると、次の事実が認められる。

昭和三十一年一月二十五日午前八時頃、申請人が会社ロール課の更衣室で鋳型工、熔解工を合せて六、七名の工員と共に作業服に着換えながら雑談していた際熔解工の一人が「昨夜の仕事が残つている。昨夜の夜勤は六人のところ三人しか出勤しなかつたので仕事が辛かつた、今日は連勤ができないかも知れぬ」と話しているのを聞いて、申請人は「昨夜の夜勤がえらかつたのは当り前だ、六人でする仕事を三人でするのは無理だ、そんな時には三人分だけの仕事をしておけばいい、仕事が残つたら残しておけばいい」と言い、傍にいた職場委員の浪江某もこれに同調同様趣旨のことを言つた。その場にいた熔解の現場責任者である松本浅六伍長は鋳型工の申請人及び浪江の右発言によつて今後熔解の仕事がやりにくくなると困ると思い、同日午前九時頃直属の横田ロール課長に申請人等の右発言について報告し、今後部署外のことについて口出しせぬよう課長からの注意方を進言した。そこで横田課長は申請人と、浪江を呼出し、「久本、朝お前はどう言つた、皆に仕事せんでよいと言つたろう」等と右の事実について詰問、浪江が大体右事実を認めるのに対し申請人が明確な返事をしないところから、更に松本伍長と対質の形で右発言の有無を確かめた際にも申請人が黙つていたので、同課長は申請人の右言動に対する懲罰的意味を主たる理由として申請人に対し「ロールのペケが出るのはお前が反射炉まで仕事せんでもよいといつて廻るからだ。すが出るのは型場の責任ではないか。生産が上らぬのはお前がガタガタいうて歩くからだ。お前は型場には要らない。明日から運搬へ行け」といつて、翌日からロール課内の最低序列のいわば雑役の運搬係へ配置転換を命じた。翌二十六日申請人は右配置転換命令を拒否して命ぜられた運搬係に行かず、元の職場の型場で働き、次の就労日である二十八日には申請人に対する配置転換の問題は組合が職場会議で横田課長と交渉することになり、同日申請人は一応運搬の仕事に従事したが、その翌二十九日には西田組合長の指示もあつて元の職場へ復帰し、横田課長から配置転換命令に従うよう再三勧告されたが、これを拒否して造型の仕事に従事し、同日午後は横田課長に言葉をかけて組合の常任委員会に出席し、三十日以後も型場で造型の仕事を続けていたものである。

申請人は、申請人の前記発言は組合役員である申請人が就労時間前組合員に対してなした日常の説得活動として正当な組合活動であり、右配置転換は申請人の右説得活動並に平素の活溌な組合活動を理由としてなされた不利益扱であるから、かかる配置転換命令自体が不当労働行為であり従つてこれに対する拒否を理由として懲戒解雇することも亦不当労働行為として無効であると主張するのに対し、被申請人は申請人の右発言は熔解工に対する煽動であつて企業の生産を阻害し作業能率を低下させるものであるから、かかる煽動を理由として配置転換を命ずることは正当であり、かかる命令に対する拒否は職場規律をみだすものであつて本件懲戒解雇は何等不当労働行為ではないと主張する。

そこで申請人の右発言自体を評価する前に申請人と会社側殊に横田課長との従来の関係を考察してみよう。

前記各証拠に証人白井芳雄の証言により成立の認められる甲第十一号証、申請人の第一回供述により成立の認められる甲第三号証、同第二回供述により成立の認められる甲第十二号証、証人横田礼三の証言により成立の認められる乙第五号証の一、申請人の第二回供述並に前記(ロ)(ニ)説示の各事実を綜合すると次の事実が認められる。申請人は昭和二十五年十月から同二十六年十月まで更に同二十七年五月から同三十年三月まで引続き職場のロール課から組合の職場委員として選ばれ、同三十年三月以降は組合の常任委員兼厚生部長に就任し(この点は争がない)、その間昭和二十五年十月のレッドパージ反対闘争、同二十六年八月の飯尾忠夫製鈑課長の配置転換反対闘争(この関係部分は争なし)、同二十七年七月の夏季一時金闘争の各職場闘争委員、同二十八年七月の夏季一時金闘争時の職場闘争委員長、同二十八年十一月末から同二十九年一月にかけての長期越年闘争時の職場闘争委員長(以上の関係部分は争なし)兼渉外班長を歴任しているものであつて、申請人はロール課における最も積極的な組合活動の推進者として会社側の警戒の的となつていた。殊に昭和二十八年十一月末からの長期越年争議後の同二十九年二月から同年五月にかけ会社はその職制を通じて相当露骨に第一組合に対し支配介入的言動をとる一方争議中に結成された第二組合の勢力拡大を期していたのであるが、このような状勢下に第一組合の職場委員である申請人は同年二月には争議中第二組合に転じたロール課の従業員数名のうち伍長格の西山英夫及び中村英の両名を説得して第一組合に復帰させたので、横山課長はこれを快く思わず、申請人と同課長との間に対立を生じ、同年三月の前記(ロ)説示のロールの不良に際しては同課長はこれを申請人の不注意と断定して始末書の提出を求めたのに対して申請人はこれを拒否し、更に同年五月の前記(ニ)説示の暴言事件に際しても申請人は残業に対する同課長の差別扱を強調して謝罪要求にも応じないこともあつて、両者の対立は益々深刻に感情的とさえなつて来ていたのである。申請人に対する昭和二十九年八月作成の人事考課表において横田課長が信頼度、協調性、責任感はいずれも「劣る」、所見として「附和雷同、猪突性、下剋上、反抗性あり」と評定しているのもこうした対立感情が与つていることは否定できない。更に又同課長は昭和三十年十月三日ロール課の工員を集めて会社の圧延部門の人員整理に言及説明した際「久本(申請人を指す)は図書館の中のチンドン屋だ」と評し(この点争なし)、課員に対し組合の常任委員である申請人等の言動に同調しないよう慫慂し、申請人に対しては「ロール課で人員整理があればお前が一番だ。お前は組合運動で職場をガチャガチャするからだ」と言明した。ちなみに申請人はその本来の仕事の面では造型の熟練工としてロール課の型場においても技倆は指折りに属し、その仕事ぶりも普通以上であつたのである。

このようにみてくると、申請人は職場のロール課で終始他の従業員をリードして最も活溌に且つ戦闘的に組合活動を推進していたものであつて、横田課長は申請人が職場において組合意識をもつて職制の課長に対し対等の姿勢をとる態度にいまいましさと反感を感ずる一方、申請人が組合の職場委員として将又常任委員として組合内部において職場の従業員をリードして職制の意に副わぬような組合活動を最も熱心に展開することを強く嫌悪し、申請人の職場活動は職場を騒がせるものと曲解してこれを職制の力で抑えようとしていたことが窺われるのであつて、職制と申請人との間のこのような職場環境の下で申請人の前記発言が熔解の現場責任者の松本伍長から横田課長に報告された次第である。

そこで、申請人の前記発言が職場における正当な組合活動であるか、それとも部署外に干渉し企業の生産を阻害し且つ作業能率を低下させる趣旨の煽動であるかどうかをロール課の職場体制に触れつつ検討してゆくと、本項(ホ)の冒頭にかかげた各証拠によれば、次のように認められる。

ロール課には熔解(反射炉)と鋳造(型場)の二つの部門があり(この点争なし)、課長の下に夫々現場には組長、組長の下に伍長、伍長の下に平工員が配され、作業としては熔解部門は熔解と運搬に分れ、熔解作業だけについて説明すると、熔解工が朝六時頃に反射炉に点火し昼勤の者が銑鉄を熔かして攪拌し午後三、四時頃熔銑を取鍋に取り、午後五時頃に反射炉のカバーをとつて炉を冷やす、夜勤の者は午後十時から翌日午前六時まが勤務時間でその間に反射炉を掃除し基準作業量として銑鉄スクラップ約十六、七屯、石炭約二屯をクレーンにより反射炉に挿入配合することが主な仕事であり、鋳造部門は各種の鋳型を造る作業と取鍋にとられた熔銑を型に鋳込む作業が主な仕事である。これらの作業は密接に関連する共同作業であつて、例えば熔解の夜勤者が所要の材料を基準量の割合で挿入配合するのでなければ翌日の熔解並に鋳込作業に支障を来すという関係にある。熔解の夜勤の仕事は昭和二十八年秋頃から忙しくなつて来て従業員の間から作業強化による苦情が出たので、会社は熔解の夜勤要員として従来の五名を六名に増員配置していた。これらの点からみると、職制上申請人は造型工として型場に属し熔解工は現場責任者の松本伍長(当時熔解の組長は欠員)の指揮下にあつたのであるから、申請人と熔解工とは職場を同じくするとはいうもののその部署を異にしており、又熔解の夜勤者の人数が要員の半数だからといつて半分だけの作業量で済ませば早速翌日の作業に差支えを生ずる。従つて、職制と作業工程の面から皮相的にみれば、型場に層する申請人の右発言が一見部署外の熔解の仕事に干渉し翌日の熔解並に鋳込作業に支障を来すことを期待する趣旨のように思われないこともない。

しかし、右発言に至る事情を仔細に吟味すればかかる皮相的評価は決して当を得たものでない。すなわち、右発言の前夜の一月二十四日の熔解夜勤者六名のうち一名は職制に届出て欠勤し更に二名が無断欠勤したため、本来六人でする作業を三人でするの已むなきに至つた。尤も、夜勤者が欠勤するときは事前に職制に届出て職制の方でその補充をつけるのを建前とし、突発的に欠勤者のあるときは職制の側で社宅に連絡して圧延部門から随時応援を求め得ることになつていたのであるが、夜勤者の出勤率が大体八十五%になつていて職制の側では五人でも一応夜勤作業をなし得ると考えていたので、その夜も右届出欠勤者一名の補充をつけず、更に突発的な無断欠勤者の補充も講ぜられなかつたので、そのような事態になつたわけである。このように三人で夜勤作業をした例は過去にも僅か一回しかなく、しかも又要員六人の夜勤作業を五人ないしそれ以下の人員で行つてもこれに対し会社から報償手当のようなものは支給されず無償であつた。そうすると、このような労働力の不足が勢い労働強化に追込み無償労働を強制する結果を招きそのため労働者が疲労と苦情を訴えるに至ることは必然の成行きであつて、現に同夜の夜勤者の間から仕事が辛かつた、連勤ができないかも知れないとこぼす声がすでに出ていたことが窺われる。六人でする夜勤作業を三人で行うことが極めて労働過重であることは明かであつてこの点は横田課長も肯定するところであるから、いかにその作業の成否が翌日の共同作業に影響をもつとはいえ、職制が三人に対して六人分の夜勤作業をやり遂げようと督励することは、何といつても無理であり、いかに従業員の勤労意欲、責任感に訴えるにしても自から限度があつて、右の場合はすでにその限度を超えるものといわざるを得ない。従つて、かかる労働強化の繰返しは、これを期待する方が無理で、このような労働強化によつて所定の作業量をやり遂げようとする職制側の態度にこそ問題があるといわなければならない。かかる異常事態に際してはむしろ職制の側で労働過重にならないよう欠勤者の補充その他機宜の措置を講じ労働力の培養を心掛けるべきであろう。申請人の前記発言は熔解工のこのように異常な労働過重と苦情を前にしてなされたものである。かかる労働強化が労働者の疲労度を累進的に高めこれによつて連勤(将来の労働)に堪えない事態に立至れば結局において当人の労働条件の低下を招来することになるばかりでなく、かかる労働強化が繰返されてゆけば使用者側として作業の合理化による労働強化措置を打出すに至るかも測り知れないのである。現に当時すでにロール課内の労働強化が意図されている気配もあつた(本件解雇後ロール課にも請負制が実施されるに至つた)。日頃から組合意識で固まつている申請人がそういうことにもなりかねない労働過重を耳にして自づと口にしたのが前記発言である。そうすると一見部署外に対する干渉のような口荒い響きをもつ前記発言も、実は申請人が組合の常任委員として職制に対する労働者の立場に即して同じ職場における労働強化、労働条件の低下を懸念してなした日常の職場活動なのである。しかも故らに他の従業員の作業意欲を低下喪失させる目的でなされたものでもなく、又不当に作業意欲を減退させることにもならないこと叙上説示に照して明かである。従つて、申請人の前記発言は職場における正当な組合活動であつて、その動機、内容並に作用において何等非難すべき要素を含んでいないといわなければならない。証人横田礼三の証言中右発言を煽動と証言する部分は信用しない。

以上説示したところからすれば、申請人の前記発言は正当な組合活動であり、右発言の内容並に経緯を冷静な感覚をもつて検討すれば職制の側でもとりたてて気にする程のこともなかつた筈である。然るに横田課長が申請人の右発言を以て煽動となすのは、日頃から同課長が職制の意に副わぬ申請人の職場活動を職制の力を以て抑えようとして使用者的反感により意識的に歪曲して評価するからに外ならない。そうすると、同課長が会社から許容せられた裁量権の範囲内で申請人に対して前記発言を主たる理由としてなした懲罰的な前記配置転換命令は、結局申請人の職場における正当な組合活動を理由としてなされた不利益扱ということに帰著するのである。証人横田礼三、片野養蔵の各証言中右認定に反する部分は叙上説示に照して信用できないし、他に右認定を覆すに足る証拠もない。従つて、横田課長の右配置転換命令は会社の不当労働行為を構成するものとして違法且つ無効といわなければならない。従つて、申請人が組合の指示によると否とを問わず右配置転換命令を拒否したことを理由として会社が申請人を懲戒解雇することも亦不当労働行為として無効といわなければならない。申請人が一旦運搬係へ転じたという一事によつても右の理を左右するものではない。会社が申請人の職場離脱として挙げる事実は、右配置転換命令に対する拒否の真中に起つたことで、しかも組合常任委員会へ出席するに当つてはともかく担当課長の承認を求めに行つたことが認められるから、これを懲戒解雇事由として取上げるにも値いしない。

第三、結論

以上のとおり本件解雇は、その実体面においても将又その手続面においても無効と解するの外ない。従つて、申請人はなお会社従業員たる地位を保有し、依然会社に対し賃金請求権を有するものである。その賃金の額は労働基準法所定の平均賃金により算定するのを相当とするところ、その月額が少くとも金一万九千二百十五円を下らないことが弁論の趣旨に徴して認められ又賃金の支払期が毎月二十八日であることは被申請人において明らかに争わないところであるから、申請人は本件解雇の日の翌日以降毎月二十八日限り前記割合による賃金月額を請求し得るものである。そして申請人がその地位の不安定のため組合活動に支障を来し、又賃金労働者として賃金の支払を受けられないため生活の不安を招来していることも容易に推察されるので仮処分によりこれに対する緊急の救済を求める必要性があるものと認められる。よつて申請人の本件仮処分申請はすべて理由があるから保証を立てしめないで許容することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 木下忠良 戸田勝 黒川正昭)

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